ドリーム小説

、どうしたのよ」
「イネさん。菜子知らない?」
「菜子ちゃん?あぁ、国語担当の教諭に呼び出されてたわ」
「入学初日で?」


菜子がトゥール・トゥール・トゥのあるミッション系スクールに入学する、と聞いたときは思いっきりハードルでこけてしまった。
それくらい菜子の発言には驚いてしまったのだ。
有名私立女学校に入れるつもりだと菜子の両親から聞いてはいたのだが、まさかイネが居る学校だとは思っていなかった。
偶然とは恐ろしいものだ、などとのんびり言ってはいられなかった。


「イネさん、菜子に手ぇ出したらダメだからね」
「わかってるわよ……はい、メンテナンス終わったわよ」
「ありがと」


満面の明るい笑み、とまでは行かなくとも見ているこちらを恍惚状態に陥らせる笑顔はの武器の一つである。
最も、本人は無自覚に親しい者なら誰にでも見せているので、タチが悪い。

パーツ・ウォウに一切関与しない唯一のチーム、カハデムジカ。 滅多に明るみには出ないけれどAランクに位置していて、眠りの森やジェネシス、王たちとも深い繋がりのあるチームだとは知られていない。
それはが目立つことを嫌い、争うことを好まず、ただ太陽と月を眺めるために星となったからであり、これらの理由はA・T界においてかなりの実力者しか知らない。

太陽と月、そして星が何を意味しているのか。
それを知る権利があるのは、が一線を越えて自分に近付くのを許した者だけである。
先代契の王であるイネも一線を越えることを許され、のA・Tは必ずイネがメンテナンスしている。


「それにしても、不思議なシューズよね」
「そう?あ、荊の玉璽に似てるから?」
「そうよ……貴方は王になったことも、王を望んだことも無いでしょうに」
「王になることなんか望んでないよ。例え勝手にシューズが玉璽に変わっててもね」
「望めばトロパイオンの頂を超えられるとしても?」
「俺が塔自体を目指そうとしていないからこそ、俺とイネさんはこうして話してる。そうだろ?」


ライダーの数だけ道は存在するが、トロパイオンの塔の頂を超える道はわずか8本しかない。
自らのもつ道を極めて“王”と呼ばれ、玉璽とトゥール・トゥール・トゥのバックアップを手に入れる。
ライダーなら一度夢見るであろうものを、は最初から突っぱねていた。

眠りの森やジェネシスなど、そのチーム、どの勢力にも一切荷担せず、そして自分を崇拝する者には目もくれない。
のそんなところがイネは気に入った。

が王と呼ばれているならば、今の手の中にあるA・Tは玉璽と称されてもおかしくないだろう。
けれどは道を極め続けることを望んだから、今もただのライダーとして存在している。

はA・T界でのみ有名なのではない。
陸上選手、ヴィオラ奏者としてでも、本人の望む望まないに関わらず有名である。
それ故は目立つことが重圧に感じられて、だからこそA・Tで輝いている2人の前ではただの高校生ライダーに戻れることが嬉しかった。

2人の走りを見て、自分も大地だけでなく空を駆けたいと思っていたら、いつの間にか大層なライダー達とも出会ってしまって。
けれど、なぜかA・Tで生まれた絆だけは消えればいいのにと思うことは少なかった。
上り詰めることよりも、這い上がってくる者を叩きつぶして君臨し続けることがどれだけ難しいことか。
ロング・スプリントにおいて王者と呼ばれることの重さを、A・Tでも味わいたくなかった。

臆病なんじゃないかと樹に言われたことがある。
口では明確な理由が言えても、心の中では臆病だから逃げてる自分が居るんじゃないかとも思う。
自分の心でさえ自分で理解しきれないほど、自分は弱い。
だからA・Tを走るのだ、勝負をしない限り走りに迷いがあっても大丈夫だから。
A・Tを舐めているわけではない。
けれどある種現実逃避の手段として走り始めたような気はする。
だから、A・Tにおいて順位もランクも欲しくなかった。
試合に強さを求めたくなかった。

なのに彼らの試合となると急いで飛んでいく自分が居るのだからしょうがない。
自分自身の矛盾についてあれこれ考えることはもう飽きた。


「今回のイネさんセレクトはどんな感じ?」
「とりあえず、今ある王の道の中でに合うタイプを探してみたの」


炎、牙、荊棘。
それぞれの王には及ばなくとも、その三本の道では高い能力数値をはじき出している。
スプリンターとしての身体がスピード、キレ、ターンを生みだし、不規則な攻撃パターンを生み出す。
自分を地に縛り付ける何もかもから自由になって飛ぶ姿は、本当に”最も神に近いライダー”で。
なら、きっと遥か高みまで自分の道を極められるだろうとイネは思う。


「俺に一番似合ってるの、荊でしょ」
「よくわかったわね」
「周りからはスピードとかキレとか言われるけど。なんか他人よりも自分を傷つけそうだからさ、俺」


先代荊の女王の梨花との間柄は、他のどの王達よりも近しい。
彼と彼女の間には同族意識のようなものがある気がした。


「3つの玉璽のなるべく良いところだけを加えてみたわ。でも、使いこなすのは自身よ」
「ありがとう……あ、菜子。先生に呼び出されたんだって?セクハラとかされてないよな」


廊下をパタパタと走ってきた菜子に開口一番それを聞く
案の定菜子は笑い出す。


「大丈夫だよ、先生も女性だもの」
「そっか。過保護だとは思うけど、心配しちゃうんだよなー」
「本当に過保護な総長ね。2人とも同い年でしょう?」
「はい。でも、それが私たちのさんですから」


菜子が心から嬉しそうに笑う。
その笑みを引き出せるのは、彼らの総長を含めてごく僅かしかいない。


「じゃ、行こうか菜子。バイバイ、イネさん」
「またね」


紳士のように菜子をエスコートしながら去ろうとする
だが あ、と呟いてイネの方を振り返る。


「どうせなら、トロパイオンも何もかもから開放された道の王になるよ、俺」


ほんの半刻前に交わされた会話を蒸し返す。
記憶力が良い人間というのは突拍子もない話題を持ち出すものである。

一瞬なんのことわからずに呆けたイネに蕩けるような笑顔を残し、と菜子はA・Tを履いて地を蹴った。


「……貴方はもう立派な王よ」


例えそれが皆の目指す者とは違っていても、高みに上り詰めていることは間違いない。
陳腐な名前を付けるなら、それは”楽園の道”。