ドリーム小説

「……」
「どうした、?」


スピットは決して悪くない。
悪くないのはわかってるけど、でも。


「俺、もうお前なんか知らない」
「え、なんで?!」
「ウソ」
「は?」
「あー……マジ死ぬかと思った」


体中の血が沸騰して、今なら恥ずかしさだけで死ねる気がした。





って相変わらずガンダーラ狂いだよなぁ」
「今更じゃん?そんなの」
「それは威張る事じゃねーだろ?あ、九重」
「九重ちゃんって、ニルヴァーナの?」
「そーそー、小学校一緒だぜ」


チーム最年少の杳はの膝の上で足をブラブラさせている。
そんな杳はれっきとした男なのだが、は可愛いなぁと呟きながら抱きしめていた。

キレイなもの、小さいもの、可愛いもの、甘いもの。
女の子が大好きなもので、も大好きなものだ。
杳だけではなくカハデムジカのメンバー全員が美形なのは俺が面食いだからかな、とは思う。
もっとも、を溺愛しているメンバーから言わせればが一番美形なのだが。

黒髪、白肌、夜明けを待つ森のような翡翠の瞳。
長く濃い睫毛とくっきりした鎖骨がを中世的なものに見せる。


「九重ちゃん可愛いよなー、ウチのメンバーも負けてないけど」
「やっぱが一番でしょ。黄金比で出来てるんだから」


黄金比は、最も美しいとされる比のこと。
優れた絵画や建築作品には多く見られ、かのミロのヴィーナスは黄金比で出来ているという。
の身体はこの比率で出来ていて、これを発見したときのキヨの驚きようというか喜びようは、凄まじいものがあったとは思う。


、僕のこと忘れてない?杳、そろそろ離れて」
「忘れてないよー、炎の王を忘れるわけないだろ?」
「いざとなったら僕たち王よりもリョウや空夜を取るだろ?」
「いさとなんなくても取るって。……ウソだよ、どっちも取らないって」


シートを後ろに倒され、台に取り付けられたシャワーで髪を濯がれながらは笑う。
丁度良いくらいの水温、ため息が漏れれる程に優しく髪を梳く手つき。
目元をタオルで覆われていないから、目を開ければスピットと見つめ合う形になる。


「なんか、目潤んでない?」
「あぁ、俺白目がちょっと青いからねぇ。赤ちゃんの目と同じなんだって」
「太陽の光に弱いのもそのせい?」
「そ、色素薄いから……、ん、耳の裏くすぐったいんだけど」
「ここ、の性感帯?」
『全身性感帯だったりして』


やスピットのものではない声が響く。
もちろん、カハデムジカのメンバーは既にエリアに行っていて居なくなっている。

視界の端に入った銀の髪と、この美声は、まさか。


「あ、空夜」
「や、スピ。可愛い子じゃん」
「……こんにちは」


驚きが大きすぎて完全にフリーズしてしまう。
どうにか日本語を発したものの、頭の中は色んな国の言葉が氾濫して整理がつかない。

可愛いって言われたのは俺なのか。
俺じゃなかったらスピットが可愛いことになるのか。
それはちょっと違う気もするし。
ということは、やっぱり可愛いのは俺なのか?
や、でも社交辞令……で可愛いってどうなんだろ。


「スピ、なんか固まってない?」
「あぁ、、空夜だよ、君の愛しの」
「愛しの?」
「スピ、馬鹿!黙れ!」
「あーはいはい、も暴れない」
「……っぁ、」


首筋から耳の裏にかけてをすっと指で撫で上げられ、全身に何かが走って力が抜ける。
スピットを睨み上げると、満足そうな笑みをしながらを見下ろしてきた。


「で、君の愛しの人って俺?」
「え、あ、スピ……」


いつの間にか至近距離に居た空夜に微笑まれ、はスピットに助けを求める。
恥ずかしさで潤んだ瞳にやられたスピットは、そんな素振りを見せずにを助けてやることにした。


「この子はカハデムジカの。空夜のファンだって」
「へ、そうなんだ?」
「あ、はい」


焦りすぎると却って落ち着いてしまうのはどうしてだろう。
媚びたいわけでもないけれど、もう少しくらい愛想良くできないものだろうか。

綺麗な瞳に釘付けにされ、あまりにも夢のようで半ば現実逃避をしながら、は考える。
目の前の空夜はあまりにも綺麗すぎて、ずっと見ていたいけれど、こうやって見つめ合いたいわけじゃない。
その上辺だけの笑顔を、自分だけのために向けて欲しいと願ったことはない。
ただ名前を聞くだけで、元気に生きていると知っているだけで幸せだから。
触れられるほど近くにいるよりも、微かにその背中が見えるくらい遠くにいたい。


「で、今日はどうする?」
「……スピの好きにして良いよ。校則破らない程度にお願い」


スピットの言葉で意識が浮上し、空夜から目を反らす。
お願いだから、どうか自分の存在に興味を失ってほしい。
そう、心の中で空夜に願いながら。

連日予約が殺到しているカリスマ美容師のスピット・ファイア。
そのスピットにアポ無しで髪を切って貰えるというのはとても凄いことなんだろうと思う。
カット代の分はパフォーマンスで良いよ、なんてスピットは言うけれど。
別にセレブでも芸能人でもスピットの肉親や恋人でもない、ただの高校生。
スピットとの関係は、友達で良いのだろうか。

髪に、何かクリームのようなものが塗られた気がする。


「何塗ってんの?」
「パーマ用のやつ。校則大丈夫だよね?」
「多分、緩いウェーブくらいなら」


遠くで雑誌をめくる音がする。
他にも客や店員は居たというのに、なぜか空夜が発した音だとわかった。
目を瞑ると、周りの音が少し聞こえなくなる。
暖色の照明が閉ざした瞼を通してオレンジ色に見える。


?寝ちゃったのか……。空夜、今の間に髪切ろうか」
「あぁ」


何か優しい夢を見たような気がしたのに、涙が溢れそうなほどに切なかった。


、終わったよ」
「ん、……うわっ、斎さん?!」
「なんか、名字で呼ばれるの新鮮なんだけど」
「空夜の名前呼ぶの畏れ多いんだってさ」
「へぇ」


空夜の顔がしかめられたような気がして、うざがられたんじゃないかとは思う。
嫌われるのはしょうがないし元々好かれていないから良いけれど、一瞬でも空夜の気分を害してしまった自分が恨めしい。
それでも空夜を尊敬しているのも憧れているのも本当だし、その銀髪が月のようだと感じたのも真実。
名前を呼んではいけないと思うのも本当だから、謝るのは違う気がした。

自分が嫌なことは人にしてはいけない、というのは小さい子でも知っている。
自分なら神格化されるのは嫌だけれど、別に空夜やリョウを神と同一視しているわけではない。
2人に魂の救済なんて求めやしない。
ただ、同じ空の下のどこかに居てくれたらそれで良い。
でも、ガンダーラ、もしくはニルヴァーナやインドラの試合と聞くと全てを放り出して空夜たちを見に行ってしまうのだけど。


「スピ、鏡見せてくんない?後ろどんなになったかわかんないから」
「はい、お姫様。似合ってるよ」


前方の鏡台と背後の手鏡。合わせ鏡に映し出されたのは、緩く波打つ自分の黒髪。
心なしか前より女の子っぽく見える気がする。
サラサラからふわふわへと、髪の手触りが少し変化したことに新鮮な気持ちを覚える。
首筋に沿うようにカールした髪が肌に触れる。


「俺ね、スピットに髪いじられんの大好き。この手も好き」
「自覚のあるタラシだね」
「ちょっとヴィオラ弾くには向かないけどなぁ」


スピットの長い指に触れる。少しでも、感謝が伝わるように。


「あのさ、俺のことわざと無視してない?」
「そんなことないよ、ね、
「あ、うん」


髪を切り終えて整いすぎた顔がさらにシャープになって、思わずは見惚れてしまう。
言葉もなく見つめているうちに空夜とスピットが話し込み始めたので、はそっと席から立ち上がって去ろうとした。

途端に、慣れない手触りを髪に感じる。
細く長く、しなやかで綺麗な指。


「柔らかいし、全然傷んでねぇのな」
「へ?」
って猫みたい」
「〜っ!」


空夜の顔が驚くほど間近にある。
それだけでの顔に朱が散り、そして冒頭に戻るのであった。