宙 - sora -

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『お前さ、ずっと一人で練習してんの?』


耳に心地好い、よく通る声。夕日を背にしているはずなのに、その笑顔は不思議なほどにはっきりと見えた。


「あ、来た。たかじょーっ、こっちこっち!」
、てめー用件だけ言って電話ブチるのやめろっつってんだろ!」
「鷹匠にしかしないから大丈夫だって。飛鳥、こいつ鷹匠瑛。FCは違うけど代表で一緒なんだ」
「そうか」
、こいつ誰だよ」
「飛鳥亨、この公園でよく練習してるんだよ。な?」
「ああ。飛鳥亨だ、よろしく」
「……鷹匠瑛、よろしくな」


を間に挟んで、ぎこちないながらも挨拶を終える。
飛鳥も鷹匠もに呼び出されたが、理由は知らされていない。


「で、一体なんの用だよ」
「3人で練習しようかと思ってさ」
「は?」
「鷹匠、前に俺に相手しろって言ってきたじゃん。飛鳥も一人で練習するよりいいかなーと思って」


サッカーボールを掲げてみせたに、鷹匠は顔をしかめる。


、こいつうまいのか?」
「飛鳥、自分でサッカーうまいと思う?」
「……いや、」


ここで胸を張って自画自賛できる日本人はそういない。
飛鳥の場合、スポーツドクターの父親から言われた言葉のせいで余計に肯定できなかった。
それでも飛鳥が返事をしたのは、の言葉に悪意を感じられなかったからだ。
飛鳥の答えに、は首を傾げる。


「俺はうまいと思うけどなぁ」
「そう思うなら、聞いてやるなよ……」
「練習してるところしか見たことないからさ。嫌味に聞こえたならごめんな?」


あまりにも屈託のない笑顔で謝られてしまうと言葉が出ない。
飛鳥がまごついている間に、の中では思考が切り替えられたようだった。


「じゃ、トライフットボールしに行こっか」
「トライフットボールってなんだよ?」
「3人制フットサルっていえばいいのかなー。父さんに連れてってもらったんだけどさ、面白いよ」
「ふーん、とりあえず行こうぜ」


と鷹匠はリズムよく会話を続けるが、飛鳥は口を挟めない。
黙って二人の後ろをついて行くと、が振り返って笑いかけてきた。


「……あのとき俺なんか言ったっけ?早く来いよ、とかだった気がするんだけど」
「さすがは記憶力いいな」
「え、あの一言がどう影響したわけ?」


が覚えている限りでは、特に感動的なシーンではなかったはずだ。
素直に吐露された疑問に、飛鳥は苦笑する。

ありふれた昼下がり、前を歩く二人も、自分もまだ小学生だった。
しかし飛鳥にとって、目の前を行く背中は遠く感じられて。


「早く追いつきたいと思ったんだ。お前たちと、同じ場所に立ちたいと思った」


飛鳥がまっすぐ目を見て言えば、も見つめ返してくる。
そして、笑った。


「じゃあ、飛鳥は有言実行したわけだ」
「え?」
「立ってるじゃん。飛鳥と鷹匠と俺と、今同じピッチの上にいるだろ」
「……そうだな」


緑の芝生。
白いライン。
赤いスタンドを彩るのは、サムライブルーを身にまとったサポーターたち。
自分は確かに、この場所に立っている。


「行くぞ、飛鳥」
「ああ」
、飛鳥、お前ら二人して置いてくんじゃねーよ!!」
「あ、ごめん」
「悪いなタカ、忘れてた」
「お前らなぁ……っ!」


才能よりも気持ちなのだと教えてくれたのは、誰よりもサッカーの神様に愛される少年だった。
あのとき出会えてなければ、ここまで来られなかったかもしれない。
一人でボールを蹴っているだけでは、途中で挫折していたかもしれない。


「行くぞ、二人とも」
「おう」
「ああ」


肩を並べて見上げる空は、どこまでも青かった。


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「もうすぐバレンタインだなぁ」


誰かの呟きで部室の空気が凍る。
とはいっても部員によって温度差はあるもので、動きがぎこちなくなったのはレギュラー陣が主だった。
あるいは前年の惨状を知っている上級生は苦笑を浮かべるが、何も知らない1年生は首を傾げるばかりだ。

そのうち、部室のあちこちから溜息とも取れる呟きが上がる。


「もうそんな時期なのか……」
「俺まだ去年のアレ覚えてるんだけど」
「というか、忘れたくても忘れられないだろ……」
「「「宛てのチョコの山は」」」


近藤と根岸と中西の声が重なった。
それと同時に、気遣わしげな視線があちこちから突き刺さる。
生温いそれは部員のほぼ全員から向けられていて、あの間宮でさえ神妙な顔をしていた。

2月14日。
西暦270年ごろ、ローマで殉教したテルニーの主教・バレンティヌスの記念日である。
はっきり言ってしまえばとあるキリスト教司祭の命日だが、日本ではなぜか女性から男性へとチョコレートが贈られる日と化して久しい。
製菓業界によって作り上げられた文化は武蔵森学園にも浸透していて、毎年この時期になると女子生徒たちは浮足立つ。
否、武蔵森の女生徒たちの気合いの入りようはいっそ異様といってもいいかもしれない。

なにせ共学校ながら男女で校舎が分かれている武蔵森学園。
同じ学校だというのに、異性と交流する機会はほとんど無いといっていい。
しかし障害があるほど盛り上がるのが恋愛なのか、特に女子たちの燃えようは凄まじく。
フェンスに掛けられた南京錠のほとんども、片思いをしている女生徒が「勝手に」意中の相手の名前を書いているものであった。

そんな肉食系女子にとって、バレンタインデーはさらに熱が入る大イベントで。
その対象に強豪サッカー部のレギュラーたちが選ばれるのも、もはや必然であった。

ちなみに女子から贈られてくるチョコレートの数は南京錠のそれと比例しており、サッカー部1軍の中でも断トツでが一番多く貰っている。




「先輩は留学してるから日本に居ないの知ってるはずなのに、チョコ送ってきたよな」
「むしろ海外便で送ろうとしたやつもいたんだろ?」
のベッドに詰まれたチョコ、処理しようがなくて寮母さん困ってたもんな」
「三上は甘いもん嫌いだから匂いだけで気分悪くなってたしなー」
「……三上、素直に悪かった」
「いや、にはあの時も謝られたけど悪いのはお前じゃねぇし」


三上には気の毒だったが、フランスに高飛びしていて本当に良かったとは思う。
向こうでも女子は積極的なものの、バレンタインデーは花やケーキ、カードを贈るのが習慣だった。
おかげで大量のチョコレートを直に見ることもなく、それだけでのメンタルはかなり良好だった。
にとって、女子からのアプローチというのはトラウマの原因である。


「だが今年は、去年渡せなかったぶんさらに気合いが入ってるだろうな」
「先輩、14日は寮から出ないほうがいいかもしれないっスよマジで」
「寮の中に居ても、うっかり玄関前に行っちゃったらアウトですね」


渋沢、藤代、笠井の順で告げられた言葉に気が遠くなる。
他のレギュラーたちも十二分に人気があるはずなのに、その彼らから心配されているというのが辛い。

ホワイトデーにお返しをしなくても、好意に応えることはできないとやんわり言っても、彼女たちはまたやってくるだろう。
そして今年も、食べきれないチョコレートを前に罪悪感を感じながら捨てざるを得ないのだ。
いっそ既成品なら多少は日持ちするだろうに、が貰うものの多くは手作りチョコレートだった。
チョコレートに込められた気持ちがひしひしと伝わってくればくるほど、この日が苦痛に思えてくる。

贅沢者と罵られても構わない。
それで14日の恐怖が回避されるのならば、甘んじて非難を受けようとさえ思う。


「バレンタインとか、マジいらねー……」


こんな不遜な呟きにさえ、男子からの同情を浴びるであった。


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