- トランキライザー -
青春とか友情なんて笑い飛ばしてやりたくなるけれど、こいつらの為なら自分なんて捨てられる。
馬鹿みたいだけど、本当にそう思えるんだ。
「ちゃーん、今日も別嬪さんやな」
「脳細胞死んでんじゃねーの?」
日本人離れした海老茶色の瞳を細めて、不快そうに吐き捨てる。
冷ややかな一瞥をくれてやったというのに、忍足にはなんの効果も無いらしい。
は溜め息を吐いてから、目と同じ、黒ずんだレッドブラウンの髪を気だるそうに掻き揚げた。
「ユーシって、マジでマゾだよな」
「えー、酷いわソレ」
「で?なんの用だよ、お前のクラスは隣だろーが」
窓枠に肩肘を突いて0円スマイルを披露する忍足だが、同性のには全くダメージを与えない。否、気分を害するという点では大いに効き目があった。
さりげなく右手に分厚いファンタジー小説を構えながら、は問う。鳳に借りた本だが、あとで謝れば良いだろう。
思いきり人の頭を殴ったところで、所詮は紙。返り血を浴びるほどの殺傷能力はない。
「ちょ、ちょお待ち!英語の教科書借りに来たんや」
「リーディング?ライティング?」
「リーディング。緑の表紙のヤツやねんけど」
「これか?」
が使っている机と、後ろのロッカーには教科書類がすべて置いてある。登下校で持ち運ぶのは体操着と筆記用具、それとカメラくらいだろうか。
新聞部といえど写真はカメラクラブが担当しているから、のカメラはただの趣味だ。
趣味といっても、最新式でインクの要らないポラロイドカメラなのだが。これがかなり高性能で値が張った。
「そーいや今度の文化祭大丈夫なんか?委員長サンは自分とこの委員会だけじゃないんやろ?」
「まーな。でも、俺の報道委員会にゃ優秀なヤツしか居ねぇからな」
氷帝の生徒会は生徒会長、副会長の下に6種の委員会、そして全校生徒というシステムを採っている。
けれど、6人の各委員長は他の委員会にも参与して行事をこなすので、実に多忙なのだ。
「部長として新聞部もまとめなアカンし、報道委員長としても仕切るし、大変やな」
「報道委員会はこいつのシンパばっかだら言うことは素直に聞くし、そこまで苦労してねぇだろ」
「言ってくれんじゃねーか、生徒会長さんよぉ。人のことこんだけこき使っといて」
「この俺様をパシってんのはどこのどいつだよ、アーン?」
ミルクティーの缶をに投げつけたあと、跡部は缶コーヒーのプルタブに指を掛けた。
「あとべー、俺の分は?」
「ねぇよ、んなもん」
「けーごは俺にだけ弱いんだよな」
「勝手に言ってろ」
このやり取りも幼稚舎以来ずっとだ。
一度もクラスが離れたことが無いのだから、互いのことなど熟年夫婦のように知り尽くしている。
「ウチの委員をシンパ呼ばわりすんなよ、俺は教祖でもアイドルでもねーし。……あつっ、」
「お前、猫舌のくせにホットしか飲めねぇんだから気を付けろよ」
例えばがアイスティーを飲むと頭が痛くなったり。ミルクチョコレートは駄目なのにビターチョコは好きだったり。
砂糖とミルクをたっぷり入れたマイルドなカフェオレならば飲めることも、跡部は熟知していた。
「報道委員って、新聞部とカメラクラブとパソコン部と放送部のヤツしか居らんのやろ?」
「まーな。文章は新聞部、写真はカメラクラブ……って担当決めてっから。仕事もスムーズになるしな」
「は氷帝にIT革命起こしたもんなぁ」
「まさか表彰されるとは思ってなかったけどな。けーご、生徒会予算はこんな感じ?」
「見せてみろ。……あぁ、これで良い。このまま総会にかけるぞ」
「OK」
生徒会役員は会長、副会長、各委員長6人の計8人で運営し、生徒総会を行う。とは言え、生徒会長の跡部を一番サポートしているのはだ。
書記や会計といった役職を代行したりもしている。
「って跡部に尽くしとるよな」
「ちゃんと見返りはやってんだよ」
「あとベッキンガム宮殿で夕食ご馳走になんの」
見返りなんてなくても、これくらいはしてやるけれど。
テニス部部長も兼任する跡部の大変さは、が一番良く知っているのだから。
- 一線 -
「キャア――ッ、跡部様っ!!ステキー♡」
「跡部様、跡部様!」
「跡部様、跡部様!!」
氷帝に通っている生徒には、社長や医者、弁護士、代議士などの子供が多い。大小差はあれども、総じて金持ちに位置づけられる者ばかりだ。
上流階級=お上品というわけでもないが、令嬢と称される女子生徒たちの凄まじさに圧倒される。
「テニス部って、やっぱすげー人気あんのな……」
観戦用スタンドの一番高い場所で、は呟いた。
その声を聞きつけた女子生徒は振り返るなり、が後ずさってしまうほどの高いテンションで叫んでくる。
「様!そんな所にいらっしゃらずに、どうぞこちらへ!」
「いや、俺はここで良いよ」
「そんなこと仰らないで、様!」
「さぁ、どうぞ前へ!」
頬を染めた可憐な少女たちの笑顔が怖い。彼女たちは狂女ではないが、ギリシャ神話のペンテウスを想像してしまう。
テレビの中の芸能人たちはファンに囲まれても笑顔で返しているのを思い出し、少し尊敬してしまった。
「様!」
「……それじゃ、お言葉に甘えて」
芸能人以上に整った顔に、人好きのする爽やかな笑顔を浮かべてみせると、周りから溜め息が零れた。
さながらモーセのように、が歩くと女子の軍団が二つに割れて道ができる。
道の先に見えるコートには、ラケット片手に男女関係なく堕ちるであろう笑みを浮かべた帝王が立っている。
が。残念ながら、跡部の色気などにはあまり通じなかった。すでに見慣れてしまっている。
どちらかというと、芥川の無邪気な笑みには一生勝てないんだろうとの自覚がある。
「、どうした?」
「今日の交流試合、新聞に載せなきゃいけねーだろうが」
「なら、そこの特等席で俺様の雄姿を見とけよ」
「無様な姿曝すなよ?」
「お二人さん、ちょっとは周りの目も気にしてや」
忍足の言葉で、と跡部は見つめ合っていた状態から視線を外した・
「どっちも目立つんやから自重せなアカンで?」
「うっさいユーシ。けーご、氷帝コール止まってんじゃねーの?」
「あぁ、」
跡部が指を鳴らすと、200人の部員だけではなくスタンドの方からもエールが送られる。
一丸となって氷帝コールをし続ける生徒たちのなか、は一人、片手で顔を覆っていた。
周囲のことなどに気づかず、跡部なんかに見惚れていたなんて恥だ。屈辱的で耐え難い。
しかも、忍足は冗談ではなく真顔で忠告してくるものだから、余計に辛い。
「俺様の美技に酔いな!」
「自分で酔ってんじゃねーか……アホ」
忍足に教えてもらったばかりの関西弁。彼と同じ、独特の柔らかさと暖かさを感じる。
そういえば、関西弁は特にだが、方言は他の地方に行っても変わりにくいものらしい。
「、っ!俺の試合も見てくれよっ!」
「向日さんたちの次は俺たちのダブルスなんで、見ててくださいね」
「りょーかい、って言っても、写真はカメラクラブの奴が撮るけどな」
「じゃー俺のことかっこよく書いてねーっ」
向日と鳳はもちろん、今日は芥川のテンションまでもが高い。
「ジロー、なんか強い奴でも来てんのか?」
「そーじゃねーけど、が来てくれるだけでうれCーからっ」
「あ、そ。……ま、頑張りな」
すぐ近くまで駆け寄ってきた芥川の髪を撫で、ハイタッチを交わす。
トロトロしているいつもとは違い、大きな目を輝かせて笑う芥川に、も毒気のない笑顔で返した。
「岳人とチョタも亮も樺地もジローも若も頑張れー」
「ー、俺のこと忘れてへん?」
「あー、ユーシもファイト。けーご、俺を惚れ直させてくれよ?」
「ハッ、一瞬でも俺以外の野郎に気ぃ盗られるんじゃねぇぞ?」
「上等」
投げつけられたジャージを受け止める。氷帝コールは未だ鳴り止まず、は跡部を見つめて不敵な笑顔を浮かべた。
周りの秋波なんかに気づかないくらいに、は試合を観る。
その場に居た観客、氷帝や他校のテニス部員。誰もが、跡部のプレイとの笑みに魅了されていた。
けれど、互いが感じているのは互いの一挙一動だけ。
了