甘やかに殺して。

- 浮舟 -



、お前彼女と別れたんだって?」
「振られたんだよ、傷えぐんな!」
「あのコ、ウチの学校で一番の美少女だったよなー」
「まーな」


その美少女が、ついさっきに告白してきたことをは知らない。
もまた、に彼女が居たことを知らなかった。

否。うすうす気付いてはいたけれど、の口から伝えられるのを待っていた。
結果的に、に裏切られていたことになる。
お互い秘密は作らないという約束をは破り、そしても破る。

これからはきっと、自分も口を閉ざしていくのだろう。
まるで他人事のように、は思った。


「ってか、なんでが知ってんだよ?」
クンが有名な美少年だからかなー?」
「……お前、真面目に答える気ねーだろ」
「あ、バレたか」


からに乗り換えようとした、ととても仲の良かった彼女。
その彼女の口から直接聞いたなどとは、言えやしなかった。


滅多に利用されない図書室の、人気の無いコーナーには立っていた。
新しく入った指導書を読みながら、昼休みが過ぎるのを待つ。

ここに居れば、人付き合いの煩わしさから解放された。
昼食も、部誌を書くからと言えば一人教室から消えても怪しまれない。

幼稚だ、と我ながら嫌になる。
彼女の一人や二人を知らされなくとも、そんなことで変化するような関係ではなかった。
けれど、心の奥でショックを受けている自分は確かに存在する。
だから、その不快感を表情に出しかねない今は、独りになりたかった。

初めて二人一緒に出場した公式戦の帰り、勝利の興奮に包まれた夕方。
その場の勢いだけで交わした口約束に何の拘束力も無いのは、誰よりも自分が一番知っているというのに。


くん、」


甘いシャンプーの香りと白い肌の少女を思い出す。
決して悪女でもなんでもない乙女は、顔を赤くしながら愛の言葉を口にした。

昨日の自分は、なんと答えを返したのだろうか。


「親友の彼女だったコを、恋愛対象としては見れないから……だったっけ」


親友だなんて、よくぞ言えたものだ。
もっとも、今のはアイスホッケー部の頼れる部長という立場を担っている。
その役目上、心にも無い言葉を作った表情で言ってのける術は、悲しいかな上達していた。

県予選で得点王になんてなってしまってから、不要な注目度は上がっていくばかりだ。
いつものように、花形はゴーリーのにやらしていれば良かった。

人を偽り、信じ切れないのは己の甘さで弱い所だと分かっている。
そのことで他人を責めない代わりに、絶対が無い信頼関係なんて欲しくはなかった。

上辺だけの付き合いなら、形だけの親友なら、それで良い。
高校という、3年契約の友情ごっこなら、完璧にその役柄は果たしてやれる。
なのには、笑顔で残酷な言葉を吐く。

一番仲が良いだなんて、なんの普遍的基準で一番を量ってみたのだろう。


「あ、やっぱココに居た」
。よくわかったな」
「そりゃ親友で相棒のことぐらい解るって」


見えない針がの心臓に突き刺さっていく。
針山としての機能を持たない心からは赤い血が少しずつ流れ出し、それでもは笑っていられる。
些細な言葉で傷つく自分なんて、気付きたくも見たくもない。


「なぁ、この瀬戸内御伽草子って元就とか出てくんのかな?」
「元就?そーいやお前、バサラ?とかいうゲーム好きだったっけ」


古びた奉書で作られた本を読むを、は気だるく見遣る。
本の背表紙が視界に入ったが、そこに図書室のラベルが無いのに気付いた。
校印も押されていない。


、その本って誰かの私物じゃ――――――え?」


視界が黒ずんでいく。
目の奥が重くなって、足下から血が引いていく。

世界が回る。
もしかしたら自分だけが回っているのかもしれない。

平衡感覚が無くなり、後ろに倒れていく気がする。
けれど、頭を打つはずの床がそこにはない。

壁も天井も、も存在しない。





どのくらい、漂っていたのだろうか。

刹那、冷水が皮膚を刺激して、という肉体の存在を自覚させる。

溺れ続け、落ちていく。

死ねるかもしれない、死んではいけない。

――――――――――――起きて、泳がなければ。

沈んでいたはずの意識を浮上させ、は水面の向こうを目指した。


- 玉鬘 -



の兄上!!……と、殿」
「徳じゅ、隆景か。一人で来るなんて珍しいな」


は微笑を浮かべて隆景を出迎える。
は書写をしていた手を止め、筆を硯の上に置いた。


「お邪魔してるぜ」
「どうも」


先ほどまで浮かべていた笑顔はどこへやら、隆景はツンと澄まし顔をしてみせる。
隆景が四国の者に対して素っ気ないのはいつもの事だ。
も今更どうこう言いはしない。

むしろ、得物である弓矢を取り出さないだけましな方なのだろう。
これが元親や盛親ならば、既に矢の雨に曝されているに違いない。
毛利一の弓取りと称される隆景の腕前は、船上にいる元親の上着を射落とすほどだ。

隆景を咎める者は小早川および毛利家中には存在しない。
それは元春の吉川家もしかりで、家臣たちは当主に従順に長宗我部を攻撃する。

けれど、さすがの元春や隆景でもには手を出さない。
なぜなら、自分たちの長兄と同じくらい大好きなに止められるからだ。


もそろそろ手習いは飽きただろ?休憩にしよう」
「あー、疲れた」
「途中から落書きしてたくせに」
「うっせーな、それを言うなって」
「お前は生徒会の仕事もすぐに投げ出そうとしてたもんな」


音を上げる生徒会長を支えてきたのはだ。
が会長候補になった時点で、も担ぎ出される運命にあった。

にはには
そんな認識が周りにはあったようで、それが幸か不幸かはわからない。

そしてこの世界に来てもなお、二人に関係は変わらずにいる。


が過去に思いを馳せていると、隆景は顔を顰めた。
きっと二人だけにしかわからない話を持ち出したからだろう。
そんな隆景に気付いたは、立ち上がって廊下から侍女を呼ぶ。


「徳寿も一緒に茶でも飲まないか?千代寿に松寿も呼んで」
「兄上、呼び方が戻ってます」
「あー……なんか、隆景は本名で徳寿があだ名って感じなんだよな」
「徳寿丸って好い響きしてるもんな」


現代社会出身のには幼名という慣習がない。
だから、成人すると名を変えたり官職名で相手を呼ぶということにカルチャーショックを覚えたことが何度かあった。
ああ、異世界に来てしまったんだなと遠い目をしてしまうのはこんな時である。

さすがに公の場では三人称を使い分けるが、私的な場では忘れてしまう。
二人にとって、幼名の方が親しみを込めて呼んでいる気がするからだ。
元就と元親は咎めようともしないし、隆元や信親も素直に返事をしてくれるからそのままでいる。

時々こうして隆景が怒ることがあるだけで、あとは誰も何も言わない。


「徳寿は嫌か?」
「……兄上がそう呼びたいのならご自由にと、いつも言ってるでしょう」


照れた顔をたちから背け、隆景は部屋を出ていく。
入れ違いに侍女が入ってきたので、湯のみが一人分余ってしまった。


「本当に、徳寿は叔父上に瓜二つだな」
「なあ、
「ん?」
「今でも元就さんを叔父上って呼ぶのか」
「仕方ないだろ。俺は、私は毛利幸松丸なんだから」


神隠しにあった夫と瓜二つの男を同一人物だと思い込み、そのまま一生を添い遂げた女の話もある。
が毛利幸松丸として振舞っていれば、元就が狂乱することはほとんど無い。
だからこそ、隆元や家臣たちも一緒になって現実から目を背けている。

が諦めたように笑うと、は眉をひそめた。
は自分の感情を隠すのが苦手だ。
正反対のは、すぐにの表情を読む。
明らかに、納得していないという不満の顔。


「そんな顔すんなよ。俺はなんとも思ってないし」
「それが間違ってんだろ。お前はっていう人格を持ってんのに」
「これで叔父上が幸せなら良いんじゃないか?なあ、小五郎」
「はい、様」


興元に次いで後継ぎの幸松丸までも亡くし、傷心のまま放浪していた成田は、浜辺に打ち上げられているを見つけた。
今はの家臣として忠実に仕え、主人の傍を離れることはない。
いつまでも青年の見目を保つこの忍びは、年を取るにつれてより興元に似てくるに微笑み返した。


「小五郎も手を休めて話でもしよう」
「は。しかし、香宗我部殿はよろしいのですか」
「俺は、別に」


にしては珍しく歯切れが悪い。
誰とでもすぐに打ち解けられるにしては珍しいことだとは思う。

が成田に対してよそよそしいのは、きっと成田がを幸松丸と同一視しているからだろう。
ではなぜ、成田はに対してここまで警戒心を抱いているのだろうか。
聞いてもきっと煙に巻かれるだけで、には一生わからない。

気まずい雰囲気を読んだかのように、隆景が障子を開けて間から顔を出す。


の兄上?なかなか来ないので見に来たのですが」
「来ないので、って?」
「四国の方々も父上たちも大広間に集まっておいでです」
「そうか、それなら今行くよ。、小五郎」
「わかった」
「御意に」


どこまでも完璧な笑みを貼り付けたまま、成田は立ち上がる。
けれど、先に返事をしてきたはどこか怒っているようだった。


、なに怒ってんだよ」
がムカつくこと言うからだろ」
「俺が?」
「元就さんが幸せだからって、お前が幸松丸を演じなきゃいけないわけじゃない」


の視線が、真っ直ぐにを射抜く。
昔は受け止めることのできたその視線から、今は逃げたくて仕方がなかった。

顔を逸らすと、は溜め息を吐いた。
その吐息が、を責めているように聞こえる。

先を行っていた成田がこちらを振り返り、笑顔で呼びかけてくる。


「殿、参りましょう」
「ああ。……、行くぞ」
「わかってるよ」


不機嫌ながらも返事が返ってきたことに、内心そっと安堵する。
いつの間に、ここまで心が弱くなってしまったのだろうか。


、弱くなったな」


の心を読んだかのように、は呟く。
一瞬、心が凍り付いたのを感じた。
心臓が痛んで、思わず袂を握りしめる。


「俺は、もともと強くなんかないよ」


掠れる声、動揺しているのがばればれだ
なんて情けない声なんだろう。


「前のは強かった。自分を卑下したりしなかった」
が気付かなかっただけで、俺は変わってない」


お前は知らない。
ちっぽけなプライドでどうにか隠し続けた、弱くて醜い俺のことなんか。
誰にも見せられなかった、こんな俺を、お前に知られたくはなかった。


「……は知らなかったと思うけど、お前に憧れてたヤツはいっぱい居るんだよ」
「なんで?こんな俺のどこに憧れるんだよ」
「今のお前には一生わかんねーよ。俺だって、お前が羨ましかったけど」


今は違う。
言外にそう告げられた気がした。

の横を通り過ぎ、廊下を歩いていく。
独り取り残されたは、爪が皮膚に食い込むまで拳を握りしめた。

目頭が熱い。
顔を伏せて、感情の荒波をやり過ごす。


「俺は今でもお前が羨ましいよ、


そしてこれからもずっと、羨み続ける。


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