Eden

- 綺麗なお兄さんは好きですか -




「ん?どーした
「どーしたちゃうがな」


は一つ溜め息を吐いて、ラケットをの頭に振り下ろした。それなりに爽快な音が響く。


「いっ……!何してくれよんじゃボケェ!!」
「サボりを連れて来いって監督に言われたんや!部長には何してもええって許可もろたし」


の格好はテニス部のジャージに黒Vネックのインナーという、いわゆる部活スタイル。
無造作なヘアスタイルや、左手首の革のリストバンドが似合いすぎるのは、の非凡な美貌ゆえだろう。
どのパーツが整っている、ではなく、全てが洗練されていて完璧なのだ。
校舎のすべての階の窓から女子が身を乗り出して見つめ、街を歩いていてスカウトに遭わない日はほとんど無い。
入学して1週間以内に全ての運動部の女子部員からマネージャーの勧誘が来たほどに、は絶世の美少年という奴だった。
元が良い上にファッションセンスもあるから更に目立つ。


?何ボケーッと見とるん」
ってモテとんなー……って思って」
ほどじゃないって」
「や、お前は俺以上やろ」


少なくとも、の放つ常人離れしたキラキラなオーラはが持っていないものだ。
の場合は美形、かっこいい、漢前、明るい、優しい、人気者だと誉められることがある。
しかし、は何よりも先に「美少年」という印象を植えつけられてしまう。


の方がええやん。俺、”美形やから絶対性格悪いわー”なんて言われんねんぞ?」
「あー……お前、目立つもんなあ」


良くも悪くも、という台詞は口に出さずとも伝わったようだった。
こうやって話している間にも、を見つめる視線は増えることはあっても減ることは無い。


「ほら、俺ら1年がサボってて良い訳ないやろーが」
「へいへい。って真面目やな」
「そら一番下っ端やのに正レギュになってもうたんやから。先輩方に睨まれたくないわ」
、絡まれたことあるんか?無いやろ」
「まーな……」


隙一つ無い完璧なものを傷つけることは出来ない。の整った容姿は、高級な宝石に等しい。
迂闊に触れて壊れでもしたら。そう思うと縮み上がってしまって、殴ったりなんてできやしない。
おまけににはという幼馴染が居るから、に手を出そうなどという馬鹿は存在しなかった。


「ところで、は知らんのか?」
「何を?」
「やっぱ聞いてないんか。お前今日も授業出てなかったもんな」


は片手で顔を覆う。
が真面目に授業を受けているあいだ、は中学と高校を隔てるこの中庭で寝ていた。
同じ財団法人が経営している両校だから、四天宝寺中の生徒のほとんどはそのまま高校に内部進学する。
なので、この中庭は中学時代からのサボり場として愛用され、そしてを迎えに行くのも既に慣例となっていた。

の授業出席率は後輩でサボり仲間の千歳と同じかそれ以下で、しかし留年しないようにちゃんと計算していたりする。
テストの成績はすこぶるよく、しかも何故か憎めない性格なものだから、は教師陣との仲も良好だったりする。


「今日、1限終わった後にな」


は朝、と登校して、を教室に送り届けるなりこの楠の下で寝ていた。


「監督がウチのクラスに来て、が副部長の一人になったって言うたんやけど」
「…………………………はあァっ?!俺が副部長?!1年やぞ?!」
「中学んときは1年2年と部長やったやん。今更やって」
「あれはオサムちゃんが強制したんやろうが!校内で人気投票してみました〜♪なんてキッショいこと言いやがったけど」
「今回も強制やろ。とにかく、は幹部の一人になってもたんやから部活に遅れたらアカンわけ」
「俺は授業はサボるけど部活はサボったこと無いぞ」
「他校のヤンキーと喧嘩して停学なりかけた時以外はな。ま、部長がサボらんのは当然やけど」
「どーせオサムちゃんが監督に悪知恵吹き込んだんや。今度行ったとき覚えとけよ、あの花柄帽子!」


口汚く罵り、時には脅迫まがいのことをしてはいるが、が渡邊のことを一目置いているのをは知っている。
親と喧嘩をして家を飛び出したり、街中で喧嘩をして大怪我をしたを介抱したのが養護教諭の渡邊だった。
が一番荒れていたとき、渡邊の存在がどんなに頼もしく見えたことだろうか。
もっとも、普段が普段なだけに、心酔するほどには尊敬していない。


「まあは人徳あるし、1年の中でもリーダー格やからええやん」
「それ、中学んときも聞いたがな」
「別にネタ使い回しとるんちゃうて」
は、なんか幹部になったんか?」
「看板娘ならぬ看板息子やと」
「お、それ面白いやん」


が看板ならよく目立つことだろう。実際、中学の時はよく目立っていた。
例えば、部員の誰かがはぐれてしまったとき。通行人に「とても美形な人見ませんでしたか」と聞くと、ほぼの所まで辿り着ける。
どこかに集合する時でも、を先に待たせておけば、周囲に人だかりが出来ているからすぐに見つけることが出来る。
今も、偵察に来た他校生の目を釘付けにして離さない。

が本気で感心していると、は苦笑しながらの頭をはたいた。


- 全てを攫って -



近所の友達と遊んでいて、の投げたボールは明後日の方向へと飛んでいく。


「げ、あそこって人の家やろ」
「あそこのジィちゃんめっちゃイカツいやん!俺知らんで」
「は?おいお前ら、逃げんなーっ!!」


を見捨てて少年たちは逃亡する。
けれどボールの持ち主であるは逃げ出せない。

家というのはここら一帯の大地主で、構える家はとても大きい。
純和風の邸宅は明治時代に建てられたものらしいが、にとっては別世界のものでしかなかった。

背伸びをして恐る恐る呼び鈴を鳴らすと、上品な女性の声がする。


「どちら様でしょうか」
「あ、あの、俺、」
「このテニスボール、お前のんか?」


の声を遮って、呼び鈴の向こうから甲高い少年の声がする。
が投げたのは確かにテニスボールだった。


「このボールの持ち主なら入ってきぃ」
「ええんか?」
「ん。今ドア開けさせるわ」


開けさせるって、とが思った瞬間に、目の前にそびえたつ木戸が音を立てて開かれる。


「自動ドアなんや……」


の呟きはそこで止まる。
門扉から家の玄関まで伸びる石畳と、その両側に立つ石灯籠。
映画にでも出てきそうな日本庭園に圧倒される。
けれどいつまでも突っ立っているわけにもいかず、は歩き始めた。





俗世の喧騒と切り離された、静寂の世界に息を呑む。
というよりは、石畳の長さに嫌気がさしてきた頃だった。
それでも歩き続けると、着物にエプロン姿の女性に出迎えられる。

家のメイドだという彼女は、委縮するを家に上げた。


様が中でお待ちです」
「はあ……どうも」


恭しくお辞儀をされては居心地が悪い。
障子を開けると、そこにはと同じくらいの子供が正座していた。


様。お客様が来られました」
「ああ、ありがと」


こちらを向いた子供はとても綺麗な顔かたちをしている。
けれど驚くほどに無表情で、には大きな人形のように思えた。
の大きな瞳は、透明すぎるほどに澄んだガラス玉だった。
少年のように見えるが、赤い着物を着ているから少女かもしれない。


「すぐにお茶をお持ち致しますね」
「お願いします」


メイドに世話されるのに慣れているらしいだが、年長者を敬うようだ。
立ち尽くしたままのが見つめていると、はことりと首を傾げる。


「……俺、そんなに見とっておもろいか?」
「え?あ、ゴメン」
「ええよ、慣れとる。それよりお前、名前なんて言うん?」
。お前はで良いんか?」
「うん。って言うねん。これでも男やで」


赤い着物着てるから、女の子みたいやろ?
冷たく感じられるほどの無表情とは裏腹に、声は割と明るい。
その時だけ、ほんの僅かだがの顔が綻んだように見えた。


「……、笑ったらかわいーな」


は思わず呟いた。
すると長い睫毛が音を立て、大きな目が丸くなる。

なにか変なことを言って驚かせてしまったのだろうか。
それとも男相手に「可愛い」は禁句だったのかもしれない。

が色々と慌てている間も、は瞬きを繰り返す。
しばらくして、は赤みが差した頬を両手で隠した。


「俺が笑ったって気づいたヤツ、家族以外やとが初めてや」
「そうなん?なんで?」
「俺、表情が乏しいらしくて。だから学校行かれへんって」
は学校行ってへんのか?」
「家庭教師が家に来るねん」


ランドセルやリコーダーなどの無い子供部屋。
にとっては自室が学びの場であるという。


「寂しくないん?」
「わからん。ずっとこんなやから」
「友達は?おらへんのか?」
「年上の人が遊んではくれるけど。同い年の子はおらん」


「寂しい」や「悲しい」を知らないは、本当に人形のようだ。
際立った容姿と身分のせいで、不躾な視線にも慣れ切ってしまった生き人形は首を傾げる。
その仕草すら、生気を感じさせない。


「……?なんで怒ってるん」
、一緒に学校行こう」
「は?」
「俺がおるから、ここを出よう」
?なんで?」
「なんでって……」


整いすぎた顔を見るのも悲しくなってきて、を抱きしめる。
笑った顔は年相応の可愛らしさを持っていたというのに。


は人形とちゃうんやで……」


笑顔も泣き顔も、全て見たいと思った。
この完璧すぎる人形を、守りたいと思った。


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