宙 - sora -

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この世には「ラベリング理論」なるものがあるらしい。
ハワード・S・ベッカー曰く、人間性とは、その人の生き方よりも、周囲からのレッテルによって決められるとのことだ。
ひとたびレッテルが貼られると、その人はそのレッテルのもとに考え方や行動パターンを形成するようになる。
たとえばA型は几帳面で、B型は自己中心的といったような血液型性格診断。
血液型と人格を結びつけて考えるのは日本と一部の国だけのようだが、「男らしさ」や「女らしさ」というのもレッテルの一つに違いない。
レッテル貼りというと否定的に聞こえるが、ラベリング理論の一つと言われる考え方に「ピぐマリオン効果」がある。
「教師期待効果」とも訳されるこの効果は、教師の期待によって学習者の成績が向上することを指す。
子どもは褒めて育てると伸びるというのと同じような意味であるらしい。

の従兄はいつも賛美されて、期待に応えるように輝かしい道を歩んできた。
「期待」だって、他人から押しつけられるある種のレッテルといえるだろう。
それでもは、周囲が思い描く以上の完璧なプレーをやってのけてきた。
だからいつだって必要とされ、周りに夢を与えてきた。
自分とは違う、遠く追いつけそうもない存在。
しかし自分が呼べば、いつだって後ろを振り向いて笑ってくれたから。


「三上、俺ちょっと出てくるわ」
「彼女か?」
「ちげーよ。点呼までに帰ってこなかったら適当にごまかしといて」
「……ああ」


その濁したような返事が気になったが、を待たせるわけにはいかない。
ドアノブに手をかけて、ふと後ろを振り返る。
三上はベッドの上で本を読んでいて、目が合うことはない。


「三上、」
「なんだよ」
「……いや、なんでもない」


今度こそ、ドアノブを回して、部屋を出た。


!」
。着くの早すぎだろ」
「ちょうどこっちに来てたんだよ。そしたらからメールが来たからびっくりした」


ポテトを摘みながらは笑う。
日曜は部活が休みらしく、私服の従兄を見るのは久しぶりだった。


「しょっちゅう東京に来てるなら、こっちに住めばいいのに」
「いやいや、俺の学校神奈川だから。今日だって玲さんに頼まれて来たし」
「アキラさん?」
「西園寺さん覚えてるか?あのおじさんの娘」
「あー……、」


小さい頃、何度か会って挨拶したらしいが、顔すら覚えていない。
の心中を読み取ったのか、は少し苦笑した。


「あの人のおかげで、俺は12歳でU−14に入れたんだぞ?」
「え?」
「そうじゃなきゃいくらサッカーできても入れてもらえなかったって。俺はそれでも良かったけど」
「それで良かった、って?」
「年相応のチームでプレーしても良かったってこと」


いつだって年上に囲まれて、対等かそれ以上に渡り合っていた従兄。
駆け足で前へ進んでいくを、は必死で追いかけていた。


「西園寺さんには感謝してるけど、飛鳥とか傑と一緒にプレーしてみたかったな」
「……それは、」
「ごめん、俺の話ばっかしてるな」


何かを言おうとして、何も言えなかった。
明るく笑う従兄の表情に、嘘は見えない。
お互いにコーラを飲んで、一息つく。


「じゃ、今度は俺がの話を聞く番。なんかあったのか?」


優しげに細められた瞳は、まっすぐを見つめていた。



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「三上……あ、チームメートのことなんだけど」
「三上って、お前んところの10番?」
「そうだけど、なんで三上のこと知ってんだよ」


選抜合宿のことは話せない。
西園寺の笑顔が脳をよぎって、思わず言葉に詰まる。


「あー、アレだよ、春の大会。決勝戦観てたからさ」
「来てたのか?」
「うん。試合で東京来たついでだけど」
「試合って、部活の?」
「そりゃ、その頃は代表入ってなかったし」
「いつ日本に帰ってきたんだよ」
「今年の年明け?」
「……なんですぐ会いに来なかった」


だんだんと声が低くなっていく。
昔からだが、従弟の機嫌が悪くなるタイミングがたまに掴めない。
会えなくて寂しいと思ってくれていたのだと、前向きに考えていいのだろうか。


「なんか話それてるって。今は三上クンのことだろ?」
「クン付けしなくていーって、あいつなんかに」
「あ、そう?じゃあ三上で。……で、その三上がどうした?」
「アイツ、もしかしたらレギュラー外されるかもしれない」
「調子悪いのか?それとも素行不良?」
「違う。桐原監督が自分の息子をウチに入れて、代わりに三上を控えに回すって」
「……それ、本当に言ったのか?」


桐原監督が結婚していることにまず驚いたが、彼もやはり人の子だったということか。
息子が可愛いのはわかるが、たちが反発するのも当然だろう。
まだまだ未熟で、若い少年だちばかりなのだから。
今はまだ、色々なことに葛藤を覚えていく時期だ。


は嫌か?桐原監督の息子がチームに入るの」
「決まってんだろ。3年間一緒に練習して、サッカーやってきたんだ」
「でも実力的にはその息子のほうが上なんだろ」
「……たとえそうだとしても、水野が入るから三上が外されるなんて納得できない」


水野竜也、桜上水の10番でトップ下。
三上と同じポジションで、技術面では水野のほうが勝っていたはずだ。
その割にはキャリアが少ないと、書類を見て思ったが。


「そのこと、三上本人は?」
「一緒に聞いたって根岸が言ってたから……でも誰もその話題はしないようにしてるし」
「そっか」
は、どう思う?」


は、どう言ってほしいのだろう。
が欲しているだろう答えをくれてやることもできる。
酷い大人だと、桐原のことを非難してやればいい。
だが、それが全てではない。
きっと、が何を言っても、最終的には自身が決めなければいけないのだ。


「とりあえず、今まで通りにしてたらいいんじゃないかな」
「それでもし三上がレギュラーから外されたら……」
「そのときはそのときじゃない?」


理不尽なことをされたとしても、子どもには対抗するだけの術がない。
変えられる力がないのなら、どうしようもないのだ。


「でも、諦めたらそこで終わりだっていつもがっ」
「そう。だからは、なりにあがいたら?部員みんなで抗議してみるとかさ」
「でも、」
「桐原監督に直接ぶつけてみたら、気が変わるかもしれないじゃん」


何もせずに、何かが変わるはずがない。
偶然にしろ必然にしろ、きっかけがあって結果がある。


「……三上には、なんて」
「何も言わなくていいよ。仲間なら、信じてやれ」


三上自身を。
三上が武蔵森で築き上げてきたその努力を。
ともに過ごした、3年間という時間を。

言葉にしなければ伝わらない。
言葉にしなくても分かりあえる。
どちらも本当で、大切なことだと思うから。
どうか伝わってほしいと、切に願う。


「大丈夫だよ、お前なら」

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