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「は?1軍を使うのか?」
「ああ。さっき桐原監督本人がそう言った」
「地区予選の、まだ1回戦なのに?」
「しかも、出るのは俺たち正レギュラーらしい」
武蔵野森では、1軍の中でも正レギュラーと準レギュラーに分かれている。
いわゆるスタメンであるのが正レギュラーで、準レギュラーはベンチもしくは控え組だ。
たとえ他校では絶対的エースになれるとしても、武蔵野森で準レギュラーに甘んじている部員は多い。
「桜上水ってそんなに強かったか?」
「いや、地区止まりだった気がするが……やっぱり、少し変だよな」
「かなり変だろ。桜上水に恨みでもあんのかな」
そんな会話を渋沢と交わしてから1週間。
誰もが予想しなかった、1点差での勝利だった。
「ー。大問2の問4の答えどうなった?」
「a-d-b-c-e」
「うわ、俺、最初から間違えてんじゃん!」
「ネギはどうなったんだよ」
「e-c-b-d-a……」
「……俺のと真逆ってことか
「あ〜……終わった」
「でも真ん中のbは一緒だから、部分点は貰えんだろ」
サッカー部3年生の中で、英語の成績はが一番良い。
遠征する従兄にくっついて、しょっちゅう海外に行っていたからだろう。
英語は当然のこと、フランス語やイタリア語まで片言だが話せる。
はさらに語学に堪能で、スペイン語やドイツ語にまで手を出していた。
きっと今は、ポルトガル語までも流暢に話せるに違いない。
「今日の小テストって追試あったっけ?」
「中間テスト前の確認だから追試は無いけど、補習はある」
「マジで?!」
「テスト配る前にセンセー言ってたろ。ちゃんと聞いとけよ」
「そんなヨユーあんのだけだって……」
項垂れる根岸の頭を撫でる。
同い年のはずだが、思わずこうしてしまうのはだけではない。
ときには藤代さえもが根岸より大人びて見える、というのは中西の意見だ。
「あんま落ち込むなよ。折角のオフなんだから」
「そっか、そーだよな。久し振りの休みだもんな!な、カラオケ行って遊ぼーぜ!!」
「あー、悪い。俺、ロッサ行く予定なんだわ」
の言葉に、根岸は顔をしかめる。
「さー、部活が休みの日くらいサッカーから離れたら?」
「その言い方だと、俺がずっとサッカーのことしか考えてねーみたいに聞こえるんだけど」
「本当のことだろ。休み時間でも、三上と二人してサッカー論議してるじゃん」
机を挟んで、三上と顔を突き合わせてながらポジションや戦術を確認する。
リベロをするようになってからは、三上からパスを受けることも多くなった。
攻守、特に守備から攻撃へ転じるときの連携を図るために必要な時間だ。
渋沢や辰巳も加わって、他校のデータ分析や練習メニューについて話し合うこともある。
「俺もサッカー好きだけどさ。とか渋沢は別格だよな」
「好きなものに別格なんて無いだろ」
かつてが言われた言葉を、根岸に投げかける。
「実力に差があっても、気持ちに優劣なんてつかねーよ」
そう言ったは、あの時どんな風に笑っていただろうか。
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膝を折って、目線の高さを合わせる。
「自分のことは自分でできるな?」
「できる」
「我がまま言ったり、誰かに迷惑かけたりしない?」
「しない」
「……わかった。俺からも監督と叔母さんに頼んでやるよ」
こういうときはいつも、自分はつくづくに甘いと思ったものだ。
海外遠征に従弟を同伴させるなんて、あり得ないに決まっている。
なのに小学生のは、2歳年下の子どもの手を引いて渡欧したりしていた。
幼い自分の幼いわがままを聞いてくれた当時の代表監督やコーチたちには、本当に感謝している。
「さん飛鳥さん、おはよーございまっす!」
「あ、おはよー鬼丸」
「おはよう」
飛鳥と並んで道を歩いていると、後ろから鬼丸が走ってくる。
ひとつ下の俊足ウィンガーは、ボールを持っていないときでも速い。
「さん、今日もパス練一緒にして下さいよ」
「別にいーけど?」
「よっしゃあ!早起きしたかいあったー」
何故かは知らないが、とペアを組んで練習したがる部員は多い。
そしていつの間にか早い者勝ちになり、朝イチで相手を申し込まれるようになった。
そのせいなのか、朝練の遅刻と休部率はゼロが続いている。
「俺とパス練すると何か良いことでもあんの?」
「ペア組むんなら、やっぱウマい人とやりたいんスよ」
「鬼丸も十分巧いだろ。センタリングとか、かなり正確だし」
飛鳥が奪い取ったボールを、が受けて、敵陣へと切り込んでいく鬼丸の前方へ放り込む。 そして鬼丸が上げたボールを、オーバーラップしてきた飛鳥がゴールに叩き込む。
チームが新体制になってから、何百回と繰り返してきたプレーだ。
飛鳥から、から鬼丸へのパスワークも滑らかになってきた。
数をこなせばこなすほど、速さも正確さも増してくる。
「それにしても凄いっスよね。さんが入部したのって、俺らより少し前なだけでしょ?」
「そうだな。編入したのは年明けだし」
「なのにめちゃくちゃチームに馴染んでるし。社交的なんですか?」
「んー、割とそうかもな。飛鳥とも鷹匠とも小学生の頃から知り合いだし」
「3人とも一緒のチームでもなかったのにな」
「へー」
鬼丸は人懐っこい。
同級生とも先輩ともすぐに仲良くなって、今やチームのムードメーカーだ。
もしかしたら、より社交的かもしれない。
明るくて気さくで、それでいて冷静沈着な面も見せる。
頼もしくて可愛がりがいのある後輩だ。
「おはよーっス」
「おはよ、真屋、白鳥」
「よっ。またお前らが一番乗りか」
「俺とは下宿だからだよ」
学生寮は、葉蔭学院から近い所に建てられている。
10分もあれば、走って教室に滑り込める距離だ。
寮生の多くは他県の出身者だが、飛鳥は実家から通うこともできた。
「鬼丸はアレだろ?にペア組んでくれって言いに来たんだろ」
「お前と同じМFのセンパイはここにも居るっつーの!」
「ちょ、痛いっすよ真屋さん!」
首を絞められかけた鬼丸は、の背後へと避難する。
は笑って鬼丸の頭を撫でるだけだ。 真屋と鬼丸のやり取りを見ていた飛鳥は、ひとつ溜息を吐いた。
「鬼丸、1年はボールとコーン出しがあるだろ?」
「あ!スイマセン、すぐ行ってきます!!」
「早く行かないとコーチにどやされんぞー」
「頑張れ、若者!」
真屋が野次って、白鳥が無責任に応援する。
もはや見慣れた、葉蔭の朝の風景だった。
了