- 15 -
「本当によく似てますね。生き写しっていう言葉の意味がわかった気がします」
「タク。お前、練習は?」
「先輩を迎えに行けって渋沢キャプテンに言われたんですよ」
を学園の外まで送り届けて帰ってくると、笠井がひとりで校門の側に立っていた。
一部始終を誰よりもの近くで見ていたのだから、聞きたいことはたくさんあるだろう。
「3年近く会ってないイトコって、さんのことでしょ?」
「……まーな」
そして、1年生の頃から妙に勘が鋭い。
「一瞬、先輩のドッペルゲンガーかと思いましたよ」
「ドッペルゲンガーって……昔から双子に間違えられてたけどな。俺もも母親似だし」
「良かったですね、仲直りできて」
「仲直りっていうか……別に、喧嘩してたわけじゃねーし」
本当に、喧嘩をした覚えはない。
ただほんの少しのすれ違いが重なっただけだ。
両親を亡くして間もないのに、たった独りで海を渡って、文化の壁に阻まれて。
それでも周囲の期待に応えようとすれば、サッカー部の後輩さえも喪った。
それなのに、自分は何も知らなくて。
自分のことに精一杯で、従兄の苦しみに気付いてやれなかった。
が何も言えないでいると、笠井は先に歩き出す。
何も言わず、何も聞かない。
そんな後輩の気遣いが、ちょうど良かった。
「先輩、ひとつ聞いていいですか?」
「なんだよ」
「さんって何しに来たんですか」
ただ先輩に会いに来たってわけではなさそうですし。
笠井の言葉に、は頷く。
従弟に会うためだけに相手の学校にまで押し掛けるほど、は衝動的な人間じゃない。
「なんか桐原監督に用があったらしい」
「神奈川在住の高校生が、中学の教員に何の用だったんですかね」
「……俺、が神奈川に住んでるって言ったことあったっけ?」
「制服ですよ、あの人が着てた。あの学校サッカーが強くて有名じゃないですか」
「確かにな」
神奈川の雄と呼ばれ、大きな大会で決勝進出を逃したことはないと云われている強豪校。
その、見慣れないブレザーに身を包んだ従兄。
どこか違和感が拭えなかったのは、そのせいかもしれない。
のなかでは、はいつもユニフォームを着ていた。
10番を背負い、ピッチを駆け、ゲームを支配する従兄だけが、だった。
「先輩、さんが現れたことに驚いて用件まで聞くの忘れてたんでしょう」
「図星です。でも、のことだから聞いても教えてくれなかった気もするけどな」
「へぇ……そういえば、さんが来たときに誠二が練習に紛れ込んだの気付きました?」
あのときは目の前の従兄に気を取られていたのだから、当然気付くはずもない。
もっとも、笠井はそれを分かった上で聞いてきたのだろう。
「バカ代が来たら女子がもっと騒ぐだろ?」
「さんの登場で、誠二どころじゃなかったんですよ女子は」
「どういう意味だよ」
「確かに先輩によく似てはいるけど、先輩が絶対しなさそうな笑顔を見せるんですよ?」
「……」
それは従兄を褒めているのか、自分をけなしているのかどちらなのだろう。
が黙っていると、笠井はさらに話し続ける。
「しかも年上の余裕まで感じさせて、あの年頃の女子がオチない訳ないじゃないですか」
「さすが、だな……」
は昔から人に好かれやすい。
それは冗談でもなんでもなく、老若男女問わずにあてはまることだ。
愛想がよくて、気も利いて、海外生活も経験しているからか女性の扱いにも長けている。
小学生のときでも年上女性から可愛がられていたのだから、高校生となった今では年下から好かれるのも無理はない。
「大変ですね、さん。ウチの女子はそこらのアイドルファンよりも熱狂的ですよ」
「まぁ、アイツ神奈川に住んでるから滅多に会えるわけでもないし……」
「先輩、彼女たちの熱意とパワーを知らないわけないでしょう?」
「……なら、そういうのにも慣れてると思うから」
「それもそれでどうかと思いますけど」
グラウンドに戻ると、部員達を見向きもせずに話しこむ女生徒たち。
彼女たちの話題は、明らかに従兄に関するもので。
「モテるって大変だよな」
「他人事じゃないでしょう、先輩の場合は」
笠井はそう言いながら、藤代の首根っこを掴んで殴った。
- 16 -
メモに書かれた住所をタクシーの運転手に伝える。
目的地に辿りついてインターホンを押せば、迎えてくれたのは予想外の相手だった。
「愛しのイトコには会えたのか?」
「…………なんで、椎名がいるんだよ」
「ここは僕の家だけど?表札も確認せずに来たわけ?」
椎名の言うことは尤もだ。
だが、ただでさえ気分が優れないのに、これ以上毒舌に付き合う気力はない。
「あー……もうお前でもいーや。玲さんに、桐原監督が礼の件了承しましたって伝えといて」
「玲に会わなくていいのかよ」
「明日も朝練あるから、あんま疲れたくないの」
本当は西園寺と話したいことが幾つかあった。
しかし椎名が何か言う前にドアを閉めて踵を返す。
用件は伝えたし、にも会えた。
多分、やり残したことは無いはずだ。
だから、今日のところはこれでいい。
「U−19?」
「ああ。代表の監督が、に見学に来てもらいたいらしい」
「それ、地域選抜とかじゃなくてナショナル選抜だよな」
「一応な」
プルオーバーに首を通してから、再び飛鳥の方を向く。
同じように着替えている飛鳥もまた、を見つめた。
「まだ決心はつかないか?それとも国籍の問題か」
「ちゃんと日本に帰化したし、国籍のほうはクリアしてるけど」
住民票や他の手続きが色々とあったせいで、日本に帰れるようになるまで時間がかかった。
本当なら、すぐにでも彼のもとへ行きたかったのに。
「U−19と、部活と学校と選抜と掛け持ちできるかなぁ」
「選抜?なんだそれ」
「言ってなかったっけ?U−15東京選抜のコーチングスタッフ頼まれてんの、俺」
「たまに東京に行ってるのはそのせいか」
「まーな」
まだ準備段階ではあるが、招集するメンバーは大方決まっている。
Bチームのほうはともかく、Aチームの顔ぶれはほぼ決定だろう。
尾花沢が好んで集めてくるのは、ジュニアユースや強豪校のエリートばかり。
逆に西園寺のお眼鏡にかなう者といえば、癖のある厄介な選手だろう。
これはの予想でしかないが、椎名や飛葉中の面々はきっとBチームに入るはずだ。
椎名一人だけでも面倒なのに、本当に面倒なチームが出来上がりそうだ。
が顔をしかめていると、飛鳥が気遣うように声をかけてくる。
「別に、無理する必要はないぞ」
「あぁ、ちょっと別の心配事してただけ。U−19のほうは、とりあえず見学行ってみるわ」
「本当か?タカも喜ぶ」
「あ、」
「どうした?」
「飛鳥が鷹匠のことタカって呼ぶの、久しぶりに聞いた」
その呼び名を聞くと、少し前を思い出す。
両親も、かの後輩も生きていて、一番幸せだったあの頃。
すべてが当たり前にあるもので、失うことなんてないと盲信していた。
「……、大丈夫か?」
飛鳥が顔を覗き込んでくる。
意識して口角を持ち上げ、は笑った。
心配されるようなことは何もない。
無理なんてしていない。
必死に堪えているものもない。
両親亡き今、飛鳥や鷹匠ほど自分を理解している人間はいないだろう。
きっと従弟よりも、2人のほうが素の自分を知っている。
それを言ったら、きっと従弟は怒るだろうけれど。
「俺は大丈夫。それよりも、鬼丸のこと心配してやれよ」
「鬼丸か……チームの方針がまだ理解できてないみたいだな」
「期待かかってる分、監督からの叱責も多いしな。でもあのままだとクサっちまう」
確固たる才能がある分、今のチームでそれを活かせずに苦しんでいるのだろう。
いつも陽気で前向きな性格なのを知っているだけに、鬼丸を見ていると痛々しく感じた。
「同じMFなんだし、のほうがアイツを仲良いだろう」
「まぁ直属の部下って感じはするけど……俺じゃダメだと思う」
「どうして?」
「才能のありがたさは、飛鳥のほうが知ってるだろ」
天才と、至極の努力家。
この二つに分けるとするならば、は前者で飛鳥は後者だ。
鷹匠もと同じく、身体能力に秀でた天才に違いない。
今でこそ飛鳥は攻守の要として最終ラインを統轄し、ピッチの中で采配を振っている。
しかし、最初から皇帝と呼ばれるような逸材だったわけじゃない。
それまでの経歴には、苦労の積み重ねがあるのをや鷹匠は知っていた。
「環境とかさ、俺のほうが色々と恵まれてるんだよ。そんな俺の言うこと、今の鬼丸が聞くとは思えない」
「……そうかもしれないな。俺から話してみる」
「悪い。頼むな、飛鳥」
「ああ」
中断していた手の動きを再開する。
飛鳥のことだから、練習が終わったらすぐにでも鬼丸と話すのだろう。
「じゃ、行くか」
「そうだな」
沈黙を吹き飛ばすように、どちらともなく笑いあった。
了