夢幻抱擁。

- 文化衝突 -



将軍のお膝元である江戸は、今日も人が溢れかえる。活気がある街中を、ひとり背の高い青年が歩いてゆく。
その整った顔立ちにすれ違った町人はみな振り返り、萬屋の字が染め抜かれた暖簾を青年がくぐって姿を消すまで見つめていた。
そんな周囲の様子などつゆ知らず、勝手知ったる様子で青年は店の中を進んでゆく。店員は気立ての良い江戸っ子ばかりだから、挨拶を返す青年もにこやかだ。


「お帰りなさい、
「ただいま、紅さん」


店の置くから出てきた女性、紅鳶が出迎える。紅鳶と青年、もといはもはや姉弟のような関係になっていた。
黒鳶を兄に持つ紅鳶は二人も弟が出来て嬉しいらしく、が帰るとすぐに出迎えに来てくれる。


は?」
「あの子なら奥の部屋でお得意様の接待ですよ。三井さん、すっかりを気に入ったらしくて」


おおから新しい呉服をに着せているのだろう。紅鳶はそう言ってが着ていた外出用の羽織を脱がした。


「さ、夕餉の支度を手伝ってくださいな。兄様ももうすぐ戻られるようですし」
「はーい。あ、お帰り黒さん」
「ただいま、
「あら、お帰りなさいませ兄様」
「ただいあま、紅ちゃん。おや、はまた三井さんと?」
「はい」


は紅鳶と共に萬屋を取り仕切っている。いちおう紅鳶の弟ということだし、見目も良いので上客の接待を担当しているのだ。
もともと頭の回転も速く、人付き合いや対応の仕方も慣れているので、貴婦人はもとより他の客にも受けはいい。


「紅さん、三井さんがお帰りになります……あ、も黒さんもお帰り」
「ただいま、!」
「わ、ちょ、離れろ!」


後ろに三井屋の呉服商人を従えて現れたに抱きつくは慌ててを引き剥がそうとする。


「本当に整った顔立ちの弟さんでございますなぁ。実家の方から来られたんでしたかな?」
「えぇ。ちょうど元服を迎えましてねぇ」


世間では、は黒鳶と紅鳶の弟、の乳兄弟ということになっている。二人とも大人になったので黒鳶の商売を手伝うために江戸へやってきたというわけだ。
夜行が現れてこちらの世界に来てしまったとき、偶然にも黒鳶が通りかかって鵺に襲われる前に救出されたお陰で怪我はないが済む家もない。
右も左もわからない状態に陥ったを、「養子」という形で迎え入れてくれたのが萬屋の主である黒鳶だった。
もちろん二人は黒鳶と紅鳶の裏稼業も知っているし、霊感が強いらしいは陰陽寮に属して黒鳶の補佐をしてたりもする。頭である佐々木からの信頼も篤い。
けれども一般人が知っているのは、は萬屋の新しい人間であるということくらいだった。


「市村座の方で小耳に挟みましたが、さんを太夫子、さんを立役にとの話があったとか」
「おや三井さん、さすがの早耳ですね」


太夫子、立役どちらも歌舞伎においては上位の役者である。黒鳶は一つ苦笑して扇子で額を叩いた。


なら稀代の傾城になれるだの、なら三都一も夢じゃないだのと言われたんですがねぇ」


確かになら女形としてもやっていけるだけの器量はあるだろうし、も十分二枚目として名を馳せるだろう。
けれど、二人を手放すことはどうしてもできなかった。どちらかだけを手元に残すことも出来るはずがない。


「確かにあの二人は一人ずつでも絵になりますが、揃っていてこそ華ですしねぇ」


三井が顎を撫でながら頷く。
の背の高さや顔立ちは江戸中で評判となり、やがて萬屋に歌舞伎の一座が度々来訪するようになった。時に、千両箱を詰まれたこともある。
それでも黒鳶も紅鳶も頑として首を縦に振らなかった。


「それでもやはり惜しいですなぁ。いや、ほんとに惜しい……」


三井は笑いながら丁稚を連れて店を出て行った。


「黒さん、また着物貰ってもたんですけど。しかもの分まで」
「ほんまや、綺麗な青色やな」
「青鈍ですよ。のは唐紅色ね」
「赤って女の人の色じゃないんかなー……」


は疲れた様子で呟く。
けれど人からの贈り物とあっては着ないわけにもいかず、いずれは三井の前で着て見せなければならないだろうと誰もが思った。


「ま、なら赤も似合うって!ユニフォームも赤やったし」
「由仁法務?なんですそれ」
「えっと、みんなでお揃いの服って言えばえぇんかな」
「チームって言ってもわからんやろうし……」


が一生懸命説明するのを、黒鳶と紅鳶が楽しそうに聞く。
その姿が本当の兄弟以上に仲が良さそうで、店員や客たちは笑顔でそれを見つめていた。

鴇時と紺がこちらの世界にやってくる、ほんの数年前のことである。


- 捉えどころのない心 -



銀灰色の空から白い雪が落ちてくる。
掌で受け止めれば呆気なく溶けて指先を冷やし、ただの水滴になってしまった。


「おや、は寝てしまったのかい?」
「黒さん。今日はこいつ休ませてやってよ」


俺が陰陽寮で寝泊りしながら妖退治をしているあいだ、妙な女の霊に好かれたは金縛りのせいで一睡も出来なかったらしい。
除霊を済ませたとたんは気を失って俺の方に倒れこんできて、そのまま熟睡中だ。
少し日に焼けた肌は未だに血の気がなくて、陰の気が強いって大変だなと同情してしまう。

娘なら父親に、息子なら母親に似ると美形になるってどこかで聞いたことがあるけど、も俺も母親似だ。
陰陽五行説からすると女性は陰の気が強くて、月と濃闇の夜に力が増すという。
小母さんの血を寄り多く受け継いだもまた男の割には陰の気が強くて、妖に好かれやすい。

人も妖も、眩しいものには目を細めるけど欲してしまう。
自分にはないものを相手に求めるのは自然なことで、そういう願望は俺にもある。ただ、俺の場合その対象は長い間変わっていない。

ミニバスの全国大会を終えて、中1で地域選抜に選ばれて、もう一つ上のセレクションに召集されて。
と逢うのは、それが2回目だった。
小学生の頃から注目されていたはいつでも輝いていて、もしかしたらアイドルとか学校の美少女よりも魅力的だった。
これって、いかに俺がバスケ馬鹿なのかがわかる気がする。や、バスケ以外は眼中にないのは今もかも知れない。
プレイの一つ一つを思い出すだけで体の芯から熱くなって、自身はどこまでも冷静だから、まるで恒星みたいだと思った。
青白い光を放っているのに、本当はとても高温で輝く星。みたいだと思った。


「でも、はこうやって触れるんやんなぁ……。こんな寝顔他の奴に見せられんわ」


俺以外の誰かに、俺が見たことのない表情も、俺が好きな仕草も見せないで欲しい。親友にしては異常な気持ちだ。


「そうとうヤバいな、俺も」
「な、にが?」


呂律の回ってない幼い喋りかた。多分まだ寝ぼけてる。
色素の薄い茶色の前髪の間から、黒くて切れ長の目が見上げてくる。無防備で、安心しきった顔だ。


「まだ眠いんやろ?寝とき」
「んー……」


すぐにその目は閉ざされて、体から力が抜ける。
部屋の中には俺とだけで、他には誰もいない。彼岸に居た頃にはなかった光景だ。
和服姿のも見たことがなかったし、こんなにも弱ったは知らない。

意外なことに、は新しいものや世界にはすぐに順応できない性格だ。
ためらっていたりするの手を、俺が引っ張っていく。そんなことがこの世界に来てから良くある。


「こんな状態じゃあを働かせられませんねぇ」
「佐々木様!と、萓草」
「俺はおまけか」


さりげなく、の寝顔が見られないように座っていた位置をずらす。そんな俺を見た萓草が呆れた。


「そんなに大事ならどこかに籠めておけ」
「できるならとっくにそうしてるよ」


これは半分冗談で半分本気だ。多分そこまでは病んでないと思う。
大切にして、ドロドロに甘やかして、ずっと隣に居てくれればそれで良いから。どうか、俺から離れていかないで。
お前の相棒は俺しか居ない。そうだろ?


「ま、こっちに来てからはが頼れるのって俺だけだから、とりあえず今はこれで満足だな」
「歪んでますね」
「親友ですから」
「……ま、私としてはお前がその力を貸してくれればそれで良いんですが」


佐々木様には感謝もあるけど、利害の一致の方が大きい。
佐々木様の手足となる代わりに手に入れた身分と権力と金で、を守る。それだけが、今の俺の生きがいだから。

大雪になる前に、と佐々木様たちは傘を差して帰って行った。また、と二人だけになる。


「風邪引くよなぁ……」


猫みたいに丸まって寝るに羽織を掛ける。

恋人として扱いたいわけじゃなくて、が隣で居てくれればそれで良いんだ。
俺の世界を変えたのは、お前だから。


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