- 士魂商才 -
「、帯緩みよるで」
「ほんま?ちょお直して」
「はいはい」
女物と違って、男の着物にはお端折りなんてものはない。
左衽が外側になるように着て、帯を巻けばそれで終わりだ。この衽を左右逆にしてしまうと、死装束になるから、なんとも不吉なんだけど。
帯だって、女帯にはお太鼓結びとか色々あるらしいけど、俺たちは神田結びくらいしか知らないし、男帯の方が幅も狭い。
黒の博多帯を締め直したあとで、佩き緒も直す。鈍く光る日本刀が、少し怖かった。
こんな道具で、は妖を殺しているのか。
「?どないかした?」
「ん?なんでもない」
「なら、ええけど。人の帯じーっと見とるから」
「なんとなくやって」
手蓋を着けた手で、が俺の頭を撫でる。足には立挙。いつでも戦闘状態に入れるように身につけている武具。
大河ドラマでよく見た鎧みたいに全身を守るようなものじゃないから、時には怪我をして帰ってくることもある。
別に、あっちの世界でが怪我したのを見たことがないわけじゃない。
でも、刀傷みたいな切り口からあふれ出す血の量や、火傷の痕は、何度見ても耐えられない。死に直結している気がするから。
俺の知らないところでが傷つく。なのに俺には何もできない。
妖は見えるだけじゃなくて、倒せる力が俺にもあったなら。
「行ってきます。外出たらあかんで」
「わかってます」
そしたら、こうやって見送ること以外にも何かできるかもしれないのに。
「そんじゃ坊、今日も頑張りましょうぜ」
「……佐吉、だから坊って呼ぶなって言うとるやろ」
「へぇ、すいやせん坊」
「だから!」
堺商人の一族から養子に来た俺と、その乳兄弟の。萬屋では、そういうことで通してる。
だから丁稚奉公の佐吉とか番頭さんたちは俺たちのことを「坊」って呼ぶんだけど。
「坊」と書いて「ぼん」。小説でしか見たことがなかったのに、そう呼ばれる日が来るとは夢にも思わなかった。
「よォ」
「紺。よう来たなぁ。ま、座れや」
「んじゃ遠慮なく」
俺と同じくらいか少し低い背丈の紺は、店内の注目を浴びまくっている。
着物の着崩し方が問題なんだろう。頭髪なら、佐々木様だって月代剃ってないんだし。
なんとかの御触書って出されてないんだろうか。三大改革とかでも、町人や百姓って色々規制があったはずなのに。
「そりゃあ史実とココは違うだろ」
「まーな。でも異国文化には怯えとんで?」
「自分とは明らかに違うからだろ。国外も国内も関係ない」
「はるほど。で?」
「あ?」
「今日は何買いに来たん?」
未の刻になると客が一気に増える。上は御典医様から、下は女中奉公に来たばかりの女の子まで。
店の経営には深く関わってないけど、衣食住を世話してもらってる以上はちゃんと働かないといけない。
居住まいを正すと、紺が弄んでいた煙管から目を放した。確か、俺やより二つは年下のはずなんだけど。
「特にない」
「は?」
「朽葉のやつが長屋を掃除しろってうるさくてよ。んで、ここに逃げてきた」
「こーんー?」
急に低くなった声を聞いて、紺がぎょっとする。多分、今の俺は良い笑顔をしてるに違いない。佐吉まで怯えてるから。
指を鳴らすと、バキバキと小気味良い音がする。バスケをしてる人間にとって手は一番大事なんだけど、イライラしたらやってしまう。
久しぶりに何か薬を買いに来たんだろうと思って、愛想良くしてやったというのに。
「客じゃないなら出てけーっ!」
「なんだよ、お前が勘違いしたのが悪いんだろうが!」
「うっさいわ!こっちは忙しいんじゃ、はよ出てかんかい!」
右足で蹴り飛ばすと、骨の接合がおかしくなったような音がした。音源は、もちろん俺じゃなくて紺だ。
もしかしたら首の骨がイってるかもしれないけど。
「佐吉、塩まいとけ!」
「へ、へーい」
働かざる者食うべからず。接客業というのは体力も根性も消費するのだ。
一銭も入らない茶飲み話なんかに付き合っている暇はないんだ。
- buzzer beater -
最強なんて言われても、俺にだって調子が悪いときくらいある。
それが1番大事な大会中だというのが、情けないところなんだけど。
「大丈夫か?」
「多分な」
前半を終えるなり、ベンチに座り込んでポカリをあおる。
一応勝ってはいるけれど、予想外に点差は付いてない。
多分じゃなくて、絶対に俺のせいなんだけど。
熱でもあるのか、身体が熱くていつもより動けない。
風邪だけは引かないようにと部員に言っときながら、キャプテンの俺が引いてたらダメじゃん。
チームメイトいわく守備は悪くないけど、やっぱり攻撃に精彩を欠いてるらしい。
「それでも他のヤツらよりよっぽどすげーよ?なんせ東のだしさ」
「そうそう。の調子悪いは、俺らからしたらやっぱ強いし」
「サンキュー。……でも、準決でこれじゃあキツいだろ」
今の暫定順位はベスト8、ウチの先輩たちが守り続けてきた最低ラインの成績。
でも去年、一昨年と準優勝までこぎつけてるのに、表彰台を逃すわけには行かない。
それに、この準決勝に勝てばアイツが待ってる。
、天賦の才能を持った最高のPG。
関西一の強豪校で猛者どもを束ねている、学生プレイヤーの王者。
向こうは順調に勝ち進んでるんだろうな、と考えていたら本人が目の前に現れた。
総勢100を超える部員を引き連れて歩いてくる姿は、いつ見ても堂々としている。
「久し振りやな、。調子悪そうやなぁ」
「。次、このコートで試合?」
「そう。ま、俺はベンチ組やけど」
そう言いながらも、は手渡されたボールをシュートする。
センターライン近くから適当に投げただけなのに、ゴールリングに当たることなく真っ直ぐ入った。
ウチの部員からも、向こうからも歓声が上がる。
はパス回しも凄いけど、フリースローとかセットシュートの的中率がハンパない。
基本崩れることはないけど、どんなフォームからも確実にゴールを決めてみせる。
「相変わらず百発百中だな」
「んー、調子は悪くないんやけどなぁ。足が足やし」
包帯が巻かれた右足。
前の試合でチャージングされて、痛めたらしい。
「そんなに酷いのか?」
「俺的にはそんなでも無いんやで。でも監督が休んどけって言うから」
高校もスポーツ推薦で行くだろうし、なによりなんだから無理をさせるわけにはいかない。
俺が監督だったとしても同じ判断をするだろう。
は同世代の俺らからしても、別格の存在なんだから。
「あ、でも決勝は出るで?ラスト5分くらいやけど」
「マジ?大丈夫なのかよ」
「無理に出る必要は無いんやけどさ。ま、優勝の瞬間にキャプテンがベンチってのもなー……って」
は不敵に笑う。
自分たちが負けるなんて、少しも思ってないらしい。
それが自意識過剰とかに感じられないのは、自身とそのチームメイトの実力ゆえなんだけど。
関西と西日本の大会で3連覇、昨年度全国大会優勝校。
原動力は、間違いなくの実力だ。
も、を支える仲間たちも、とても強いのに進化を止めない。
「で、そん時はお前が俺の相手してくれるんやろ?」
「へ?」
「東の、西の。俺の相手務まるん、お前しかおらんやん」
どの角度から見ても綺麗な顔で、まっすぐに見つめられる。
が注目されるのは、バスケのセンスと容姿が良いからだ。
整い過ぎてて少し冷たくも見える顔には、真剣な表情が浮かんでいた。
「調子悪いから負けるなんて許さへんで。俺と肩並べるんなら、もっとマシなプレーしてみせろや」
静まり返った体育館内に、の声はよく通る。
全員から注目を浴びていることに気付いたのか、は一つ咳ばらいをした。
「……俺が言いたいのはこれだけ。上で見てるから、頑張れよ」
「あ、うん。!」
「なに、」
恥ずかしいのか少し機嫌が悪い。
でも、こんなんでビビるようなら選抜でコンビ組めてないし。
「ありがと。スランプ脱出してみせるから応援よろしく」
「言ったな、ちゃんと活躍しろよ?フォローしてくれた仲間に感謝しぃや」
「了解。にも恩返しするわ」
「俺は何もしとらんけど」
「じゃ、俺を認めてくれたお礼?」
「あっそ。じゃあ俺は練習に戻るから」
素っ気ないのは照れ隠し。
でも、練習を再開したはやっぱり凄いの一言に尽きる。
さっきから一度もシュート外してないし。
「後半は良いとこ見せねーとな、キャプテン」
「あのにあそこまで言われたんだし、決勝まで残らないとなぁ?」
「……そーだな、カッコ悪いとこばっか見せらんねーや」
試合の再開を告げるブザーが聞こえる。
は部員たちを従えて、スタンドの最前列に座った。
誰よりも特別なヤツが見てるのに、最低なプレーなんてできない。
だけに向けて、そっと自分の胸を叩く。
も同じように返してきて、強気に笑った。
「ちゃんと見とけよ」
「ここで見てるから」
聞こえるはずのない距離で、互いの声が届いた気がした。
了