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夢幻抱擁。

- Stay Gold -





紡、もう上がって良いですよ」
「紅さん。東は?」
東はまだ……ね」
「そっか。じゃあ、お先」
「お疲れ様」


夏が去って、夜が長くなってきた。
怪談話が話題に上らなくなっているのに反比例して、妖の出没が増えているらしい。


「それにしても、毎日まいにち働きすぎやろ」


表向きは萬屋の店員、本業は陰陽寮に務めている妖の退治屋。
妖の被害が多くなれば、自然と東も忙しくなる。

頭では理解していても、心は納得できていない。
萬屋に来るまでは、片時だって離れたことはなかったのに。


「……ずっと一緒やったっけ?」


独り言が、独りきりの室内に消えていく。
答えてくれる人なんて居やしない。

大阪にある実家の呉服屋。
家族、幼なじみ、丁稚に番頭、馴染みの商人。
顔は出てくるのに、彼らの声を思い出せない。


「?!……っ、」


頭が痛む。
東と共有しているはずの記憶も途切れがちで繋がらない。

一番近くて、大切だと想う人なのに。


東のちっちゃい頃って、どんなやったっけ……?」


部屋の中を探しても、手がかりなんて何一つあるわけない。
一緒に育ってきた、はずなのに。

軽く頭を振ると、鈍い痛みも一緒に揺れ動く。
その場から逃げだしたくて、東の居ない今に耐えられなくて。
固く目を瞑って、どうにか現実を手放した。


「……紡?寝とるんか?」


耳元で響く声。
優しい温度と匂いに包まれて、ほっと息を吐いた。
髪を撫でる骨ばった手に、泣きたくなるほど安心させられる。

目を開けて東を見たいけれど、まだ起きたくない。
夢うつつの中で名前を呼ぶと、小さく笑う気配がする。


「甘えてくれるんは嬉しいけど、俺が淋しいから一回起きて?」
「ん……、東」
「おはよ、紡」


久しぶりの声、懐かしい笑顔、いつだって俺を支えてくれた腕の感触。
東は確かに、今ここに居る。


「お帰り、東」
「ただいま。帰るの遅くなってごめんな」
「しゃーないやん。東、忙しいんやし……」
「ほんまは今日は早く帰れるはずやってんで?けど藍鼠が相手してた妖が意外と強くてなぁ」
「けが、しとらんのか?」
「大丈夫」


あの人が手こずるような妖相手に、二人がかりでも無傷でいられる可能性は低い。


「お前は、試合のときでも無茶すんのに……」
「試合?」


視線が一瞬厳しいものになる。
だけどすぐに和らいで、また俺の髪を撫でた。


紡、晩飯もう食った?」
「まだ食べてへん」
「そっか。紅さんに頼んでなんか作ってもらおか」
「そやな」


離れていく指先に巻かれた、白い包帯。
昨日までは無かったから、やっぱり今日けがしたのだろう。
でも、東の背中を見たら何も言えなくなる。
だから。


東」
「ん?」
「やっぱ、もうちょっとこうしとって」
「……今日の紡は甘えたやなぁ」


嬉しそうに、幸せそうに抱きしめてくれる東だけが本物で。
東への思いだけが真実であれば良いと思った。


- 静寂の平穏 -



「捕まえたんだ、黒さん」
「白紙の者を逃すのは得策じゃないからね」
「飛んで火に入る夏の鴇、か」


運ばれていく鴇時を見て、思わず溜め息を吐く。
積極的に行動するときに限って、良い結果にならないらしい。

神社には不似合いな地下牢はとても堅固で、未だに脱獄に成功した者は居ないらしいけど。
それでも、陰陽寮の捕縛者が神社に閉じ込められてるなんて誰が気付く?


「牢の見張り、俺やろうか?」
「そうだねぇ……いや、東は早く紡の所に戻ってやりなさい」
「帰っていーの?」
「あの子も淋しそうにしてたよ」
「じゃ、帰る」


帝天とやらに記憶を書き換えられたせいで、紡は時々不安定になる。
前を思い出すといけないから、しばらく店に出ないよう言ったけど。


「淋しがらせたの俺だもんな……土産買うて帰ったろ」


にやけてしまうのは許してほしい。
最近仕事続きで、全然構ってやれてなかったから。
それはイコール俺も紡に構ってもらえてないってことで、とにかく急いで神社を出る。


「おや?紡さんの所にお帰りですか」
「藍鼠」
「私からもよろしくお伝えくださいね」
「い・や・だ!」
「えー、酷い」
「お前まだ紡のこと諦めてないんだろ」


紡は妖が見えない。
妖の声も聞こえない。


ただ普通の人間より遥かに強い霊媒体質で、妙な妖にすかれるのなんてしょっちゅうだ。
研究材料に目がない藍鼠にとっては最高の素材らしい。


「大妖を捕獲できるかもしれないのに」
「誰が好き好んで妖ホイホイに差し出すか!」
東は過保護過ぎですねぇ」


藍鼠の声を聞き流す。
過保護なんて今さらなことを言われたって、痛くも痒くもない。
帝天でさえも俺の記憶を変えられなかったのは、それだけ執着心が強かったってことで。
紡より大切なものなんて、他にありゃしないんだから。


「ただいまー」
「お帰りなさいまし、東さん」
「佐吉、紡は?」
「坊なら部屋におりますぜ。縮緬問屋さんから手鞠をもらって以来、ずーっと」
「手鞠?……わかった、ありがと」


奥の暖簾をくぐって母屋に入る。
右に曲がって少し直進、次の角を左に曲がれば俺と紡の部屋。


紡?ただいま」
「あ、お帰り東」
「なんか手鞠もらったって?」
「うん。綺麗やけど、男がもらってもなー」


鞠を人差し指の先端にのせて、くるくると回す。
それはバスケをしているときに、紡がよくやっていた仕種で。
無意識だろうけど、もしかしたら思い出したんじゃないかって思ってしまって。


東?」
「あ……汚れたらアカンし、飾っといたら?」
「それもそうやな」


急に鞠を取り上げた俺に訝ることもなく、素直に紡は頷く。
それを見て安心したあと、こっそりどこかに隠しておこうと心に決めた。


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